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虐待と被虐待

 虐待と被虐待について考えたことをまとめてみました

 

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1  虐待被害 外から見えない被害

2  虐待者が同時に虐待被害者であったという見えない事実

3  子どもを助けたいと誰もが思う

4  とはいえ自分の親は加害者と思っていい

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1  被虐待  外から見えない被害

 

「日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?」という本があります。

被虐待体験から生き延びたサバイバーと呼ばれる方100名の方の手記です。

 

これを読むと私にはどんなコメントもできないと感じます。

そのすさまじい仕打ちを日々受けてきた当事者以外にその気持ちを語る資格など無い。

 

この親たちは人間とは思えません。

鬼か悪魔か。

 

が、人間なはずです。この社会に同じように生きている。

なぜこんなことができるのか、心理学者や脳科学者のコメントを探せば答えがみつかるでしょうか。答えがわかれば解決策がみつかるでしょうか。

 

 

 

2   虐待者が同時に被虐待者であったという見えない事実

 

私にわかるのはしかし、この親たちは人とも思えない仕打ちを子供にしていても明らかに人間であり、おそらくかつては被虐待児であったのではということです。だって愛されて大切に育てられていたらこんなことはとてもできないからです。

私はご相談のサイトで虐待する母親と、被虐体験の被害者の方を同時にどちらもお話をお聞きするというのはできないのではないかと悩みました。被虐待体験を持つ方には親は加害者であり強烈に憎んでいる対象です。

 

しかし、私は虐待かもという親たちのお話をお聴きして、多くが自らの被虐を語るのを聞くうちに、虐待する親も被害者であったと強く思うようになりました。つまりどちらも同じ被害者なのです。

 

そしてまた、私のカウンセリングの目標は、たった今も親に殴られ食べさせてもらえず、恐怖の中いる子どもがいたら助けたい、ということです。子供を助けるには親を助けなければならないのです。

通告して弾劾するだけでは子どもは助けられない。

 

確かに施設や里親のところに行くのもひとつの方法ではあります。命の危険や最低限の生活ができなければ親と離すのは当然です。しかし現在親と暮らせない子供は全国で3万5千人、養護施設や乳児院は常に定員いっぱいで、環境は必ずしもよいところばかりではありません。親に養育の力があれば、子供と一緒に悩みながら成長していける。そのサポートを国や地域、その家族の周りにいるひとりひとりができるはずだと思うのです。

 

 

 

3   子どもを助けたいと誰もが思う 

 2000年5月に児童虐待防止法ができてからまだたった20年。数多くの痛ましい虐待死事件から行政も日本人の意識も大きく変化してきています。2016年には児童福祉法、2019年には児童虐待防止法が改正されました。

多くの機関が家庭を見守り親をサポートしようとしている時、虐待する親を糾弾し責め立てることは、子育てに悩み苦しんでいる親を追い詰め、サポートにつながらないことで、また子供を危険に追いやるのです。

 

子どもを助けるには二種類の支援があると思うのです。

 

①行政や私的支援機関など、しくみで親を支援する

②親をとりまく周囲の普通の人々が親を助け、子を社会で育てるという意識

 

例えば公共交通機関や施設での子連れの親への関わり、職場での男性の育休や育児にかかわる働き方への理解、子供を社会全体で守り育てるという意識が増えてきたとき、親の負担軽減が直接子供を助けることになるのです。

 

 

 

4 とはいえ自分の親は加害者でいい

 

被虐待の方のお話をお聞きする時、どんなに想像してもその恐怖や絶望はきっと私にはわかり得ないと思います。そして愕然とするのはそれが圧倒的に弱い立場のまま毎日そして何年も繰り返されてきたこと。

 

PTSDや解離性障害、そこまででなくとも、自信がなくて物事を決められない、人間関係が続けられない、生きている価値がないと思う。その他毒親に育てられた影響は数限りなくあります。その怒りを自らの親にぶつけなくてどうやって自分の中で対処するのでしょう。

自分の親は加害者でいいのです。

死ぬまで許さない、でもいいのです。

親からの仕打ちを憎み、物理的心理的に離れて影響を逃れられたのなら、実はそれはもうあなたの勝ちです。 

そして逃れられず現在も戦っているのならそれも、生き延びているという意味であなたの勝ちです。

 

虐待と被虐待はどちらも被虐待という同じ根から発生し、その解決方法は、自分を肯定することなのではないかと思いますが、それはまた今度書きます。