虐待のご相談を伺って4年になります。
少しの時間、お話をおききしているだけなのに相談者の方が驚くほど変わっていかれる姿をみると、凄いなと思う。
と同時に不思議な気持ちになります。
私は多分何もしていない。
している事と言えば、全部肯定している。
ただそれだけです。
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1.全部肯定している
2.否定されて努力してきた
3.肯定される場所
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1.全部肯定している
お話をうかがっていると、苦しさや怒りや理解できない論理、考え方に偏りや激しい思い込みなどがあると感じますが、それらも全て肯定して、お聴きします。
でもそれでなぜだろう。
ご自分のこころが見えてくるんでしょうか。
複雑にからまった感情が少しずつほぐされて、離れてゆくからでしょうか。
何かが変化していきます。
それでずっとできなかった一歩を踏み出す。
そこからまた次の変化が起こる。
小さな一歩がまるで地震が起きたみたいに地面を動かす。
それで慌てて動揺していろんなことを思う。
それも肯定します。
動揺は当たり前。
変化も当たり前。
起こしたのはあなたです。
あなたが考えて踏み出した一歩です。
私はそばにいるだけです。
その方は勇気の一歩を踏み出して
ご自分の持っている力を出して状況を変化させます。
2.否定されて努力してきた
そういえばわたしは全部ではないけれど
否定されていることが多かった。
「そうじゃない。」
「あなたは間違えている。」
「それは違う。」
「こうした方がいい。」
それを聞くたびにそれを修正してきた。よりよく変わるために努力してきた。
でも同時に自信が無くなるんだなあ。
自分てだめだなあ。と思う。
努力すればたいがいはより良く変化し、自分をより良く、生きやすく修正します。
同時に本来の自分、デフォルト(規定値)はとても低いまま。
頑張ってる自分は○、本来の自分は限りなく×
という自分像が出来上がる
3.肯定される場所
自分は何もできなくても○
努力しなくても○
であればどんなに楽だろう。
肯定されるということ。だめな自分を肯定されることで素の自分がみえてくる。
そんなに悪くない、気付かなかった自分像に目が行く。
いいところもあるんじゃないかって思う。
肯定される人に出会うこと。
そんな場所をみつけること。
そこで新しい自分を見つけられるのではと思います。
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